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オイスターの世界は『肉穴苦界』より拡大する

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オイスターのやっていることは、硬派なブルータルデスメタルバンドのそれだ。
方向性を一切変えず、下手したら金太郎飴と揶揄されても可笑しくないレベルで同じ作品を頑なに作り続け、作家自身の人間性は表に出さない。作品の中に全てのオイスターを注ぎ、暴力を伝える。しかも、止まずにだ。
既にベテランの領域にある彼が、手を緩めずに凌辱を描き続ける理由は、僕たちが知る由もない。エロ漫画の流行や傾向が形を変えても、オイスターはどっしりと立つ大木のように流されず、独自の世界を展開する。あるいは、ベテランだからこその風格だろうか。もはや職人芸のような作風には、敬意を払わざるを得ない。
エロ漫画でなければ描けない世界でありながら、彼の作品は既にそれらを超えている。普遍的にあり続けた先には、オイスターという存在しかない。
鬼畜漫画の孤高にして頂点。後にも先にも、彼が描く世界に匹敵する程の暴力は、ない。

2017年のオイスター新作となる『肉穴苦界』は、彼が長年作り上げた世界の集大成だ。
近年のオイスターは長編作品を主に手掛けてきたが、今回は複数の短編から物語を拡張するオムニバス形式で進行する。
とある舞台に複数の少女を登場させ、三者三様の惨劇を繰り広げる。いつものように化物じみた男たちに襲われ、事切れることを許さない空間で永遠の凌辱を与える。展開自体はこれまでのファンであれば真新しさを感じないが、「街」というキーワードが本作の肝となる。

彼が今まで表現し続けてきた、漠然とした地獄図がある。そこには、主人公と異なる少女たちも押し込まれいて、無限の凌辱が繰り返される。そこが一体何かは明確にされてこなかったが、今回の作品によって、ひとつの「街」である可能性を示した。暴力と欲望しか知らない男たちでまみれ、雌となる存在はすべからく性の餌食にされる世界。地獄、もしくはオイスターの世界そのものが明らかにされる。
その、最果ての世界から物語を始めることにより、絶望はスピーディーにやってくる。各々の主人公は、これまでの少女たちが辿った過程を、ジェットコースターに乗った速度で体験する。また、凝縮している分、やることにもえぐみが増しているため、読後の疲労感はかなりのものとなる。

さて、作中で少女たちが一堂に会する瞬間こそ、物語のクライマックスとなる。そこでオイスターは、世界に対しひとつの答えを提示する。
一見それは彼が長年行ってきたことで、主張はこれまでと何ら変わらない。しかし、その直前にひとりの少女が仕掛けた行為は、世界に対して革命の兆しを与えていた。
これまでの少女たちが出来なかったこと、それを経ての答えだからこそ、より強く胸に響く。
変化を求める少女の意志と、普遍的な地獄との決着。ある意味、今後のオイスター世界に於いての決意表明とも受け取れる。

少女たちは身心ともに破壊され、人間性をはく奪されても思考停止を許されない。快楽堕ちといった甘い言葉は通用せず、事切れも選択できない。理不尽な立場に対し、悪いのはお前だと言わんばかりの仕打ちは止むことがない。オイスターの凌辱のスタンスは、常に変わらない。
「現実」から目を背けることを認めず、考え続けることで生を強制する。生きている限り、地獄は終わらない。誰かと繋がりを感じていた「現実」を思い出して、心の支えとして、いつかその「現実」に帰ってこれることを願い、「現実」を生かされる。
オイスター作品の最も残酷な点は、巨大な肉棒で貫かれることでも、尻穴に何十本ものバイブを突っ込まれることでもない。ひたすらに、生を実感させることに他ならない。
少女たちは生かされ続ける。化物たちの喜ぶがままに弄ばれ、使い古され、放り捨てられても、そこにいる限りは。
何を以て地獄とするかは、オイスターが一番良く知っている。だから、地獄を舞台そのものにしてしまった。逃げられない舞台を、永遠の舞台を表現することで、新たな世界を構成する。地獄という世界は、拡大を始める。

彼が今後、どのような作品を描くにせよ、ここから先が新たな幕開けだろう。
街を拡大するかもしれないし、再び化物を外に放つかもしれない。
どちらにせよ、行く末は決まっている。何処を経過しても地獄は変わらない。少女たちは最終的にそこに棄てられ、希望も光も絆も断絶される。
壊れても、狂っても、平等な地獄がそこにある。