その後の食卓

アニメとかアニソンとかその他 ひとり酒

(こんな禍の)オタク雑記_202005

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※画像に他意はありません。


ほんの前まで、対岸の火事だと思ってたことが我々の生活にまで影響を及ぼしてきて、あらゆる日常が非日常のそれと変わりつつある。とはいえ、イチ社会人としてはむしろ日常の中で無駄とされてきたことが顕になり、却って生活はしやすくなったとさえ感じてたり。

 

しかし、改めて自分という人間が余暇を与えられても何も出来ない奴だと思い知る。職業に有益となる勉強…なんてはハナから不可能だと悟っていたが、嘗てはあれほど声高にして目指そうとしていた作家様のワナビすら薄れ、対魔忍RPG日課になりだし、いよいよ後戻りは出来ないと気付いてしまった。

 

この状況に駄目だなーと頭で分かりつつ、動けないのが我ら一般人以下モノだ。しかし、そんな諦観もない不感症のセンチメンタルは僕の生活に何ら影響を与えやしないだろう…と、思っていたが、ここ最近TwitterのTLを追うことがタルくなってしまった。また、アニメを観て何か感想を残す、という行為が出来なくなってしまった。自分でも驚くほど思考することへの抵抗が強くなっていた。幸い、という表現が辛いのだが、殆どのアニメ作品は延期してしまってることが救いだった。

何も考えずに時が過ぎてほしい。そんな想いが思考停止と仲良くしていた。

 

とはいえ。いよいよ何かしないと脳みそが腐る、と変な焦燥感もあったりで…以上が今回の雑記のきっかけだ。Twitterの呟きもアニメの感想も全てが無意味に感じられた中、ふと目についた他人のブログ記事が楽しかった、という理由もある。また、この状況を後で振り返るため、というのもある。生涯でなかなかに訪れる経験ではなかろう。イチオタクが生きた証として、記録に残すことも悪くない。そもそも、こんな底辺オタクのブログなぞ誰の目にも留まるはずもなし。9割は何年後かに酔っ払った自分が見直すためのものとして残すに過ぎないから気楽に綴りたい。誤字脱字どんとこい文法も文脈も関係なく進める。推敲もしないぞ。

 

…それにしても、これはオタクあるあるだと思いたいが、我れら陰キャ共は何らかの作品を引き合い出し自分語りすることは得意だが、いざマイクを向けられて「さあ、オタクくん!喋って!」と言われると、どうにも口籠ってしまう。単にコミュニケーション能力の欠如だと分析すればさもありなんだが、つまり、何が言いたいかと、何から書いて良いやらだ。分からないので、箇条書きに思いついたことを並べよう。こういうのも、日頃から文章に馴染んでいれば何ら苦労のなかったことに違いない。昔とったナンチャラだけで文章を書くとこうなってしまうのだ。分かったかね、チミィ…

 

・やらなくていいことをやり続けよう、的な名言を語ってたのは去年のアニメ『超可動ガール』だったはずだが、時世はそれらに厳しいジャッジを下し始めている。僕らが楽しみにしてたあのイベントどれもこれもが中止の烙印を押され、僕らが集まっていた場所も奪われようとしている。「不要のものが浮き彫りにされていくな」と誰かが呟いていたが、必要のない気まぐれな存在だからこそ、大事なものがあったことを彼らは忘れているのかも知らない。何かと抑圧された人生で、私はかなり「不要のもの」に助けられたという自負があるため、申し訳ないがそれらをのたまう方々のお気持ちは汲みきれない。だから、せめてそれらに消費することはどのような状況でも続けていこう…とは思うが、収入が減る怖さからやや控えめな支援に。豊かさとは日頃の蓄えにあると痛感する。

 

・鬱々とした状況下で目にした「lyrical school REMOTE FREE LIVE vol.1」は救いだった。

彼女たちを知ったのがそもそも最近で、短時間で一気にハマっている。僕の音楽の始まりKICK THE CAN CREWだとはっきり言えるのだが、ご存知ヒプシスが女性オタクの間でムーブメントの中で、男性オタクの中で同じようなことが出来ないだろうと、薄々理解していた中で、彼女たちの存在はうってつけだった。僕が嘗て耳にして、聴きたかった日本語ラップがそこにあった。バトルで罵り合わない、POPに寄り添う形のヒップホップ。嘗てキックが何も知らない奴らにヒップホップがこんなにもカッコよく楽しいのだと表現していた光景が、ほぼダブって泣けてしまった。恥ずかしい話だが、この動画を経て僕はここで初めて「家で踊る」ことを覚えた。しばらくはこれをモチベーションにしてやっていけるような気がした。2020年、僕の音楽はlyrical schoolから再び歩け出せた。新たな生きがいをくれて、本当にありがとうございます。それに尽きる。

www.youtube.com

 

・なかなかに重たいことを抜かしたが、僕は更なる生きがいも見つけてたりする。…まあ、生きる意味は沢山あって越したことはない。自殺は怖いし、リストカットなぞ画像を見てるだけで貧血を起こしちゃうし、そもそも血に対してとんでもない恐怖感があるのだから、自発的な死は当然のように程遠い位置にある。死にたくないから、死にたくなるまで死にたくなくなるほどの生きがいを見つけて生きたい。

とまれ、能天気な告白はさておき、またアイドルのお話だ。『22/7 計算中』というバラエティ番組にドハマリしてしまった。

アニメの放送から彼女たちを知った口だが、その出来は…決して悪いものではなかった、とまず言おう。少なくとも中盤の個人回は安定していたし、戸田ジュン回に至っては下手したら今年ベストに残る出来だ。

だが、やはり本筋のストーリーにはいまいち乗り切れず終わってしまった。どうしても、某大物プロデューサーの顔がちらつくのは精神衛生上に良くなく、彼の掌に踊らされるのも何か釈然とせず、アイドルたちに無理を強いる姿は何を通しても健在なのだな、と思い知らされた。

ただ、そのストレスに対しアイドルちゃんたちは軽々と乗り越えてきてくれた。その姿が、この番組だと思う。

この番組以前に、藤間桜You Tubeチャンネルを観たことも大きい。アニメの薄暗い雰囲気は微塵もなく、藤間桜サンシャイン池崎になるわ、河野都はバラエティ向きな振る舞いが上手だし、戸田ジュンは可愛さにバカさもプラスされて余計魅力的だし、キャラクターの個性が際立ちがかなり好印象だった。その流れでこの『計算中』とくれば、悪くないはずがなかった。

アイドルにしては受け答えが面白すぎるので、ある程度の脚本はあるのだろう。だが、そのくらいの塩梅がちょうど良い。それぞれに屁理屈クイーンやキレキャラなど、アニメになかった一面を見せながら、騒がしいメンツはガヤを張り切り、大人しい子らは控えめに様子を見守っている。

進行役は、実際の芸人として三四郎を起用してるが彼らの貢献も大きい。それぞれに推しがいて、その子が何かをするとすぐ贔屓に回る一方、駄目な部分はしっかりと突っ込んでくれる。安定した立ち振る舞いから、アイドルが不安定になりかけるところをフォローしてくれる。本当に良い仕事をしてくれている。

アニメを積極的に観づらくなった今、楽しいバラエティ番組は最も優れた娯楽だ。その中でも『計算中』は、バラエティ番組の中でもかなり楽しい部類に僕は位置付けている。何故ここまで惹かれるかを語れればひとつの記事になるだろうが、現時点で思うことは先に述べた通り、ある一定の脚本とアイドルたちの本質と演技の賜物である、ということだ。毎週の生きがいで、この番組自体も世情の影響を受けそうだが(現に受けている)、これからも笑顔にさせてくれると信じている。

 

…さて。読み返しても、何も意味もない記事でお送りした。アイドルの話ばっかだな。他にも書けそうなことはあるが、また気が向いたときに書きたい。というより、下書き自体が2週間放置したもので、それから何かと事態も変わりつつあるし、5月を終える前に投稿したい気持ちもあるので。

とりあえずマンスリー単位で書くことを目標、とはするがほぼ叶わないだろう。6月以降の更新が途絶え、またしれっと年末のまとめ記事まで放置するかもしれない。まあ、続いたら褒めてください。相も変わらず締めの文章が下手くそになるのはどうにかならんのか。まあいいじゃん。以上、終わりだよ〜。